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アンネ・フランクは、アンネの日記を書かなかった
アンネが自分の写真に自筆で文章を書き、アンネ・フランクとサインしています。1942年10月10日付です。アメリカの友人に送った手紙でした。「お気に入りの写真です。いつかハリウッドに行ってみたい。」といった内容であるそうです。ちなみに、「アンネの日記」の格調高い筆跡とは、全く違う少女らしい、かわいらしい筆跡です。 しかし、筆記体ならば、アンネの日記のような大人びた達筆で書けたのでしょうか?
さて、彼女が書いたといわれる「アンネの日記」なんですが、本当に書いたのでしょうか?海外では、あまりに文章がたくみであること、筆致のすばらしさに疑問を感じる人たちがいます。13歳から書き始めたとされる日記が、あまりに大人じみていると。アンネの日記には、フランク家で唯一生き残ったアンネの父親、オットー・フランクが「手を加えている」とか、オットーがアメリカのユダヤ人作家、メイヤー・レビンに依頼して書かせたとか、偽作説があります。デービッド・アービング氏のサイトでは、注意深く、アンネの日記の真贋を論じています。

1980年ドイツでひとつの裁判が行われました。(参考SP)ドイツの雑誌、デア・シュピーゲルによると、「アンネの日記は偽書である」と主張するエルンスト・ロエマーをアンネの父、オットーが訴えたのだそうです。ドイツの捜査当局、BKA(FBIに相当)は訴えを受けて、アンネの日記の科学的分析を行いました。その結果、第四章がボールペンで書かれていると判明したのです。ボールペンは、1951年に発明されたものであり、アンネの生きている間には存在しませんでした。この最後の部分が偽書であるのなら、アンネの日記全体の真贋が問題となります。なぜならば、この第四章の筆跡が、第三章までと同じだったからです。
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