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桶屋が儲かる
風が吹いたら桶屋が儲かる

1. 大風で土ぼこりが立つ
2. 土ぼこりが目に入って、盲人が増える
3. 盲人は三味線を買う(当時、三味線は盲人が弾いた)
4. 三味線に使う猫皮が必要になり、ネコが殺される
5. ネコが減ればネズミが増える
6. ネズミは箱を囓る
7. 箱の需要が増え箱屋が儲かる

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朝蜘蛛は親の仇でも逃がせ、夜蜘蛛は客でも殺せ
朝蜘蛛は親の仇でも逃がせ、夜蜘蛛は客でも殺せ

蜘蛛は神道?で神の使いとされていたんだけど
夜の蜘蛛は、悪い神の使いって思われていた。
まさに迷信。
へそ
カミナリが鳴ったらヘソ隠さないとヘソを鬼に取られる

ヘソを隠すってのは腹を押さえて屈む
カミナリが落ちたら被害にあわんように姿勢を低くしろってこと
夜口笛を吹くと蛇がくる
夜口笛を吹くと蛇がくる

口笛蛇は
蛇の読みは「へび」じゃなくて「じゃ」
元々は「夜に口笛を吹くと邪がくれ」=幽霊が来る
千方の鬼
・三重県白山町などに伝わる鬼。

・『太平記』「日本朝敵事」などにも言及がある。それによれば、平安時代、天智天皇の御宇、豪族藤原千方は四鬼を従えており、

申し込みはこちら>>>
ノエル [つづきはこちら] いぬまち
殺生石
栃木県那須湯本温泉付近にある溶岩。

鳥羽上皇が寵愛した空想の女性、玉藻前(白面金毛九尾の狐の化身)が正体をあらわし、数万の軍勢によって殺害され、石となったという逸話がある。また、その後玄翁和尚によって打ち砕かれ、そのかけらが全国3ヶ所の高田と呼ばれる地に飛散したという。

この岩は、近くから硫化水素や亜硫酸ガス、そして砒素などの有毒ガスが噴出しているため、近づく人や動物などを殺したことから、生き物を殺す石という意味から転じて、その名がついた。


殺生石(栃木県那須町)を訪ねたら、迷彩服姿で何やら話をしている人がいました。こんなところで、携帯電話で仕事の話をしているのかと思ったのですが、ちょっと聞こえてきた話は、「キツネが目の前に1匹、上に2匹。ウサギ何匹。カラスも……」と言っています。

 ところが、友人も含め私と一緒に居た誰にも、動物たちは見えません。「何をしているの?」と、しばらくそばで見ていましたが、依然何も見えず何もわからず仕舞い……。
その人は、殺生石付近に生息するキツネとウサギの保護・管理をしている、とのことでした。
殺生石付近には、キツネの他にウサギも生息していて、この時期、キツネは間もなく巣作りをするとのこと。ところが、生まれた子どもが動き出して殺生石付近にやってくると、たちまち命を失ってしまいます。

帰宅後、色々と調べてみましたが、この活動をしている団体を見つけることもできませんでした。

本当は何をみているのでしょう?
白面金毛九尾の狐
前11世紀頃、中国古代王朝殷の最後の王である紂(ちゅう)の后、妲己を喰い殺して彼女に化け、酒池肉林、炮烙(ほうらく)の刑等を編み出し、暴政を敷いた。周の武王率いる軍勢により捕らえられ、処刑された。またこの処刑の際に、妲己の怪しげな術によって首が切れないとき、太公望が照魔鏡を取り出して妲己にかざし向けると、白面金毛九尾の狐の正体を現して逃亡しようとした。太公望が宝剣を投げつけると、九尾の体は3つに飛散したと云われている。
南天竺(古代インド西域)の王子班足太子の妃・華陽夫人となり、王子へ千人の首をはねるようにそそのかすなど暴虐の限りを尽くす。
前780年ごろ、褒姒という女性に化け、申后に代わって周の第12代の王、幽王の后となる。褒姒がなかなか笑わないので、幽王はさまざまな手立てを使って彼女を笑わそうとし、ある日何事もないのに王が烽火(のろし)を上げ、諸侯が集まったという珍事に初めて笑ったといわれ、それを機に王は何事もないのに烽火を上げ、諸侯が烽火をみても出動することが無くなり、後に申后の一族が周を攻めたとき、王は烽火を上げたが諸侯は集まらず、王は殺され、褒姒は捕虜にされたといわれている。
753年、若藻(わかも)という16、7歳の少女に化け、彼女に惑わされた吉備真備の計らいによって、阿倍仲麻呂、鑑真和尚らが乗る第10回目の遣唐使船に乗船。嵐に遭遇しながらも来日を果たしたといわれている(第9回の遣唐使に来日という説もある)。
来日から約360年後(1113年頃か)北面の武士である坂部行綱(さかべゆきつな)が子宝に恵まれなかったため、九尾の狐が化けたとも知らずに藻女(みずくめ)という捨て子を拾い、大切に育てられる。
17年後(1130年頃か)、坂部夫婦に大切に育てられた藻女は18歳で宮中に仕え、玉藻前(たまものまえ)と改名する。その才能と美貌、優しさから、次第に鳥羽上皇に寵愛され、契りを結ぶこととなる。しかしその後、鳥羽上皇は病を発する。そして、その原因が玉藻前であると発覚し、玉藻前は白面金毛九尾の狐の姿で宮中から逃亡した。
数年後、彼女は下野国・那須に現れ、婦女子や旅人を誘拐し喰い殺すなどの暴行を働いたため、鳥羽上皇は白面金毛九尾の狐の討伐を命令。8万の軍勢が那須へ集結する。軍勢は白面金毛九尾の狐を捕らえて殺すことに成功する。九尾の狐はその直後、巨大な毒石(殺生石)に姿を変える。
室町時代初期、会津・示現寺を開いた玄翁和尚によって、殺生石は破壊され、各地へと飛散する。
あんあただかどこさ
あんあただかどこさ
ひごさ ひごどこさ
くまもとさ くまもとどこさ
せんばさ せんばやまにはたぬきがおってさ
それをりょうしがてっぽうでうってさ
にてさ やいてさ くってさ
それをこのはで、ちょっとかける



西南の役の田原坂の戦いを政府軍側の兵士が苦戦の
末勝った事を歌ったもの。たぬきは薩摩軍兵士たちの事。
薩摩兵士を打ち、蹂躙し、死体を焼いて、
肝を取り出して薬にした。
「木の葉」という地名が実際にある。
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